今回お話を伺ったのは、東京都内在住の会社員、田中美穂さん(仮名・47歳)。
3年前の深夜、突然始まった母親の介護生活について、赤裸々に語ってくださいました。
「あの夜のことは、今でも鮮明に覚えています。人生がこんなにも一瞬で変わるなんて、思ってもみませんでした」
そう振り返る田中さんの体験は、多くの方にとって他人事ではない現実かもしれません。
※ご本人の同意を経て掲載しています。
あの夜、すべてが始まった
2021年11月15日、午前2時過ぎ。田中さんの携帯電話が鳴り響きました。
「母からの電話でした。普段なら絶対にかけてこない時間だったので、嫌な予感がしました。電話に出ると、母の声が震えていて『美穂、動けない…助けて』と。その瞬間、血の気が引きました」
田中さんの母親(当時78歳)は、一人暮らしをしていました。電話で状況を聞くと、トイレに行こうとして立ち上がった時に激しいめまいに襲われ、そのまま床に倒れ込んでしまったとのこと。
「とにかく救急車を呼んで、私も急いで母のマンションに向かいました。救急隊員の方が到着した時、母は意識はあったものの、立ち上がることができない状態でした」
病院での検査の結果、脳梗塞の初期症状であることが判明。幸い軽度でしたが、医師からは「今後、一人での生活は難しい」と告げられました。
「その時はまだ実感が湧きませんでした。『少し具合が悪いだけ、すぐに元気になる』そんな風に思っていたんです。でも、現実はそんなに甘くありませんでした」

退院後の混乱―何から手をつければいいのか
母親の入院期間は2週間。田中さんは毎日仕事帰りに病院に通い、週末は付きっきりで看病しました。そして迎えた退院の日。
「病院のケースワーカーさんから『介護保険の申請をしてください』『ケアマネジャーを見つけてください』と言われましたが、正直何のことかさっぱり分からなくて。インターネットで調べても専門用語ばかりで、頭が混乱しました」
母親は歩行が困難になり、日常生活全般に介助が必要な状態。退院後は田中さんのアパートで一緒に生活することになりましたが、そこからが本当の試練の始まりでした。
「母のアパートから荷物を運び、私の部屋を母仕様に変えて…。でも一番大変だったのは、母の気持ちでした。『こんなになって情けない』『迷惑をかけてごめんね』と毎日泣いていて。私も何と声をかけていいか分からなくて」
仕事は有給休暇を使って休んでいましたが、それも限界がありました。介護保険の申請は行ったものの、認定までには時間がかかり、その間は田中さんが一人ですべてを背負うことになりました。
一人で抱え込んだ地獄の日々
介護保険の要介護2の認定が下りたのは、退院から1ヶ月後のことでした。しかし、ケアマネジャー選びや介護サービスの内容について、田中さんは知識がないまま手探り状態が続きました。
「ケアマネジャーさんは紹介してもらえましたが、最初は遠慮してしまって。『家族でできることは家族でやるべき』だと思い込んでいたんです。週に2回のヘルパーさんと、週1回のデイサービスだけでした」
田中さんの一日は、朝5時に起きて母親の身支度を手伝い、朝食を準備してから出勤。昼休みには安否確認の電話を入れ、仕事が終わると急いで帰宅して夕食の準備、入浴介助、就寝まで付きっきりでした。
「夜中も2時間おきに起きて、母の様子を確認していました。トイレ介助もありましたし、まとまって眠れることがありませんでした。体重は3ヶ月で8キロ減りました」
職場でも集中力が続かず、ミスが増えました。同僚から心配されても「大丈夫です」と答えるのが精一杯。プライベートの時間は皆無で、友人との付き合いも断り続けました。
「今思えば、あの頃の私は完全に孤立していました。『母の介護は私がするべき』『人に頼るのは甘え』そんな風に思い込んでいたんです。でも実際は、毎日泣きながら介護していました」
限界の瞬間。そして転機
介護生活が始まって半年が経った頃、田中さんに限界の瞬間が訪れました。
「ある朝、起きようとしたら体が動かなくて。熱が39度近くありました。でも母のことが心配で、フラフラしながら朝食の準備をしていたら、母が『もういい、救急車を呼んで』と言ったんです」
結果的に田中さんはインフルエンザにかかっており、高熱で倒れる寸前でした。救急車を呼び、田中さんは3日間入院することになりました。
「病院のベッドで『このままじゃダメだ』と初めて本気で思いました。母のためにも、自分のためにも、何か変えなければいけないと」
入院中、同室の患者さんと話す機会がありました。
「その方も介護をしている方で、『私も最初は一人で抱え込んで倒れたのよ』って。そしてココマモという介護家族向けのサイトを教えてくれたんです」

書き出して初めて見えた「自分の状況」
退院後、田中さんはココマモのサイトを見ました。
「介護の体験談がたくさん載っていて、『突然の介護で何から手をつければいいか分からない』という記事が、まさに自分のことでした」
そこで紹介されていたのが『介護決断サポートキット』でした。
「判断基準を作るワークブックと、半年間毎日届くメール。『これで何が変わるんだろう』と思いましたが、同室だった方が『私はこれで救われたの』と言っていたのを思い出して、購入してみました」
数日後、ワークブックが届きました。
「最初のページを開くと、『あなたの1週間を書き出してみましょう』とありました。睡眠時間、仕事時間、介護時間、自分の時間。正直、書くのが怖かったです」
でも、勇気を出して書き出してみました。
「睡眠4時間、自分の時間ゼロ。数字で見て初めて、『ああ、私は完全に限界だったんだ』と客観的に分かりました。今まで『まだ頑張れる』と思っていた自分が、実は無理をしていたんだと」
「もっとサービスを使っていい」と気づいた
キットには、母の状態を客観的に評価するワークもありました。
「質問に答えていくと、母にはもっと介護サービスが必要だと分かりました。でも同時に、『サービスを増やすのは甘えだ』という罪悪感もあって」
罪悪感を整理するワークに取り組みました。
「『サービスを使う=甘え』という考えが、完全に思い込みだと気づきました。むしろ、私が倒れたら母はどうなるのか。それを考えると、サービスを使うことは必要なことなんだと」
考え方が少しずつ変わっていきました。
「『家族でやるべき』じゃなくて、『プロに任せられることは任せる』。そう考えられるようになってから、ケアマネさんに相談する勇気が出ました」
毎朝届くメールが支えになった
キットを購入すると、半年間毎日メールが届きます。
「毎朝7時にメールが来るんです。短い文章なんですが、それを読むのが日課になりました」
特に心に残ったメールがありました。
「『あなたが元気でいることが、一番の親孝行です』という一文を読んだ時、涙が出ました。自分を犠牲にするのが親孝行だと思っていたけど、それは違うんだって」
メールを読むことで、少しずつ自分を許せるようになっていきました。
「『休息は介護者の権利です』『サービスを使うことは、賢い選択です』。そういう言葉を毎日読むことで、罪悪感が薄れていきました」
介護サービスを増やして、生活が変わった
ワークに取り組んで1ヶ月後、田中さんはケアマネージャーに相談しました。
「『実は限界で倒れました。もっとサービスを増やしたいです』と正直に話したら、ケアマネさんが『もっと早く言ってくれればよかったのに』って」
週2回だったヘルパーを週4回に、デイサービスも週2回に増やしました。
「最初は母が『こんなにサービスを使って申し訳ない』と言っていましたが、私が『お母さん、これでいいんだよ。私も元気でいられるから』と伝えたら、納得してくれました」
生活が劇的に変わりました。
「夜、ちゃんと眠れるようになりました。週末には友人とランチにも行けるようになって。自分の時間が持てるようになったことで、母に対しても優しくなれました」
母親との関係も良くなりました。
「以前は疲れ切っていて、母に笑顔で接することができなかったんです。でも今は、『今日デイサービスどうだった?』って笑顔で聞けるようになりました」
同じ状況の方へ伝えたいこと
現在、田中さんの母親は要介護3に進行しましたが、様々な介護サービスを利用しながら、なんとか安定した生活を送っています。
「大変なことはまだまだあります。でも、以前のように一人で抱え込んで絶望的になることは減りました」
田中さんが同じような状況の方に伝えたいことがあります。
「一人で抱え込まないでください。『家族でやるべき』という思い込みが、私を追い詰めていました。でもそれは間違っていたんです」
「一度立ち止まって、自分の状況を数字で見ることが大事だと思います。私の場合は、書き出すことで初めて『限界だった』と分かりました」
「サービスを使うことは、甘えじゃありません。自分が元気でいることが、一番の親孝行なんだと、今は思っています」
まとめ。一人で抱え込まない勇気を
田中さんの体験談から学べることは多くあります。突然始まった介護生活で混乱し、一人で抱え込んで限界を迎える。しかし、自分の状況を客観的に見ることで、新しい選択肢が見えてきました。
重要なのは、介護疲れで限界を感じる前に、自分の状況を数値で見ることです。そして「サービスを使う=甘え」という思い込みから解放されることです。
田中さんのように、自分を大切にすることで、介護する人もされる人も、より良い関係を築くことができる。その最初の一歩は、「一人で抱え込まない」という決断から始まります。
もし今、介護疲れで悩みを抱えている方がいらっしゃいましたら、まずは自分の状況を見つめ直すことから始めてみてください。きっと新しい道筋が見えてくるはずです。



